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「脳を騙して」お腹を治す    20260308

小児のIBS(過敏性腸症候群)やFD(機能性ディスペプシア)において、「心理療法」が薬物療法と同等、あるいはそれ以上の効果を上げることが分かっています。最近では、VR(仮想現実)ゴーグルを使ってリラックスした環境に没入させたり、スマートフォンアプリで「自己催眠」を促したりするデジタル療法が登場しています。
 

オランダの研究チームが行った有名な臨床試験では、IBSの子どもたちに「お腹の中を流れる川を穏やかにする」といったイメージを持たせる腸管特異的催眠療法を実施しました。 その結果、標準的な治療を受けたグループよりも劇的に症状が改善し、しかも5年後の追跡調査でも8割近い子が効果を維持していたのです。これは「脳が痛みを感じる閾値(しきい値)」を、トレーニングによって恒久的に変化させられる可能性を示唆しています。
 

「脳を騙して」お腹を治すというアプローチは、怪しい魔法ではなく、現代の「神経科学」と「心理学」が融合した極めて理にかなった治療法です。

小児のIBSやFDにおいて、なぜ「催眠」や「VR」がこれほど劇的な効果を上げるのか、そのメカニズムを解説します。

 

●脳の「ボリュームつまみ」を調整する

IBSやFDの正体は、腸そのものの病気というより、脳が腸からの信号をキャッチする際の「感度設定のバグ(内臓知覚過敏)」です。通常の脳では、腸が動く程度の小さな信号は「雑音」として無視します。しかし、IBSの脳では、信号に対して過剰に反応し、本来なら「何も感じない」はずの刺激を「激痛」として処理してしまいます。

催眠療法やVRは、この脳内にある「痛みのボリュームつまみ」を物理的に書き換える作業だと言えます。
 

●腸管特異的催眠療法(GDH)

小児における催眠療法の第一人者、アーリーン・フリーガー(Arine Vlieger)博士の研究が有名です。

子どもに目を閉じさせ、深いリラックス状態へと導いた後、以下のようなメタファー(比喩)を投げかけます。

「君のお腹の中には、水が流れる川があるよ。今は嵐で濁って荒れているけれど、君の手のひらから伝わる温かさで、少しずつ水面が穏やかになっていくのを想像してごらん……」

単なる「リラックス」ではありません。催眠状態では、脳の前帯状回(ACC)島皮質といった「痛みの不快感」を司る部位の活動が抑制されることが、機能的MRI(fMRI)の研究で分かっています。 特に子どもは大人よりも想像力が豊かで「暗示にかかりやすい(被暗示性が高い)」ため、脳の回路がこの「穏やかなイメージ」を現実の身体感覚として上書きしやすいのです。


● バーチャルリアリティ(VR)

近年、催眠療法の進化系として注目されているのがVRです。

  • 注意のバイパス: 人間の脳の処理能力には限界があります。VRで美しい海の中に潜ったり、宇宙を旅したりする視覚・聴覚情報を大量に送り込むことで、脳が「お腹の痛み」に割くリソースを物理的に奪い取ります。

  • ゲーム化(ゲーミフィケーション): 子どもにとって、30分間じっとして催眠を受けるのは退屈なこともあります。VRなら「お腹の中の悪いモンスターをなだめる」といったゲーム形式で治療に参加できるため、脳がより積極的にポジティブな信号を発するようになります。
     

論文:Gold et al. (2021) "Virtual Reality for Pediatric Pain Management"

急性・慢性の痛みを抱える子どもに対し、VRを用いた介入は「薬物療法に匹敵する、あるいはそれを超える鎮痛効果」を示しました。これは、VRが脳内のエンドルフィン(天然の鎮痛物質)の放出を促進するためと考えられています。


●「デジタル・セラピューティクス」

2026年現在、この分野はさらに進化しており、病院に行かなくても自宅でスマホと簡易VRゴーグルを使って行える治療用アプリの開発が進んでいます。
多くの胃腸薬には副作用(便秘や眠気など)が伴いますが、脳を介したアプローチには副作用がほぼありません。これが、成長期の子どもにとって最大のメリットとなります。

●なぜ「騙す」ことが「治す」に繋がるのか

脳には「可塑性(かそせい)」という、一度覚えた回路を書き換える能力があります。 「脳を騙す」体験を繰り返すと、脳は次第に「あ、お腹の信号ってこんなに気にしなくていいんだ」という新しい標準(スタンダード)を学習します。その結果、VRゴーグルを外した後も、実際の生活で痛みを感じにくくなっていくのです。

「薬で症状を抑え込む」のではなく、「脳のOSをアップデートする」。これがこの治療の本質です。


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